ふと、こんな話を思い出しました。
ある、重病の老婆がいました。その老婆にはお見舞いにも来てくれる
人もなく、看護婦さんもその老婆のわがままぶりに愛想が尽きていました。冬の風の冷たい朝焼けの空を病室の窓から眺めていると、背中を
丸くしてトボトボ歩く出社するサラリーマンを見かけました。
彼らの背中は覇気がなくどこか寂しそうに見えました。
翌朝も、その次の日もそんな彼らの背中を見ました。
老婆は看護婦さんに言って車いすを押してもらい彼らの通る道まで
来ました。その老婆はある一人の男性に挨拶しました。
「おはよう」
その男性は老婆の方をちらりと見てトボトボと横を通り過ぎて
行ってしまいました。老婆はそれから何度も何度来る人に挨拶しては
無視される日が続きました。
そんな日がいくつか続いたある日、いつものように挨拶していると
一人、また一人と挨拶してくれる人が現れました。
雪が積もる寒い中も、北風が強い日も老婆は道行く人に挨拶していきました。そしたらどうでしょう。その道を歩く人に変化が現れてきたのです。最初はトボトボ歩く人が水につけたキャベツのようにしゃっきりと
歩いているではないですか。老婆が最初無視された男性もいまでは
笑顔で挨拶するようになりました。
その老婆は自分が息を引き取るまで続けたそうです。
老婆はこの冬が越えられないだろうと言われていたのですが、桜が散る
春新しい息吹きに包まれてなくなったそうです。

この話は自分がカウンセリング受けていた時聞いたお話です。
病院の先生のお話では実存神経症ではないだろうかと診断をいただき
カウンセリングを受けることになりました。

いまこの症状を乗り越えて仕事できるのもハニーがいてくれたおかげだとおもいます。彼女は僕に生きる意味を教えてくれました、そして
自分自身も生きていく意味を知りました。それは人だけではありません、物事からも与えられるとおもいます。そんなハニーが生まれた日
甘甘に過ごしたいとおもいます。

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